February 06, 2011

ヨーロッパの裏庭、アフリカの話。

南部アフリカ地域では、御年92歳のネルソン・マンデラ元南アフリカ大統領の検査入院が長引いたことなどをとらえて、健康状態を心配する声が広がっているところです。

言わずと知れた南アフリカ黒人解放の最大の功労者、27年の収監を耐えて南アフリカ共和国で黒人初の大統領になり、アパルトヘイト政策を終わらせた人ですが、不謹慎だとは思うんですけど、そういう方がまだ存命であることにある種の驚きを感じませんか? 制度的な人種差別が人道に反するなんて当たり前だと思っているし、そんなものとうの昔に廃止されていていいような気がしますけど、南アフリカで全人種参加の総選挙が行われてマンデラ氏が大統領の就任したのは1994年のこと。歴史というにはまだ日が浅過ぎる、最近の出来事なんですよね。

英領南ローデシアの首相、イアン・スミスが、白人による統治を掲げて英国から一方的に独立しローデシア共和国を建てたのが1965年。そのローデシア共和国が解消され、黒人政権のジンバブエ共和国が成立したのは1980年。私が小学生の頃の話。そして初代ジンバブエ首相のロバート・ムガベは御年87歳(2011年2月)にして現在もジンバブエの大統領として君臨。まだ歴史でもなんでもなくて、現在進行形の政治です。

南部アフリカ地域で一番新しいナミビア共和国に至っては独立は1990年。第一次世界大戦後にドイツ領から南アフリカ連邦(当時)領に変わっても、つい最近までずっと人種隔離政策が続いていたんですよね。

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ポルトガル人が西アフリカ(現在のガーナ)に欧州勢として始めて砦を築いたのが1482年。同じくポルトガル人のバルトロメオ・ディアスが喜望峰に到達したのが1488年。これもポルトガル人のヴァスコ・ダ・ガマがアフリカ南端を回るインド航路を開拓したのが1498年〜99年頃。このあたりは世界史の教科書に出てくる話で、これ以降、欧州列強は南部アフリカに進出しインド貿易の航路として活用したほか、アフリカから金、象牙、奴隷、コーヒーなどを本国に輸入し、植民地としての開拓を進めます。オランダ東インド会社がケープ植民地(現・南アフリカ共和国のケープタウン)を成立させたのは17世紀のことです。

やがて欧州では産業革命が起きる(18世紀〜19世紀)。政治も領主様や国王陛下が直接統治する封建国家から、議会制民主主義、立憲君主制といった、今風の近代国家に脱皮して行きました。ポルトガルやスペインに変わって、いち早く産業革命を成し遂げたイギリス、革命を経て近代国家として歩み始めていたフランスなどがアフリカの植民地経営に精を出し、19世紀中には南アフリカでも鉄道が走るようになっていました。

・・・と、こうして見ると、ヨーロッパのアフリカ進出は世界史の授業のような昔話に聞こえますけど、ヨーロッパ人のアフリカ入植はずっと時代が下って、ごく最近まで続いていました。第二次世界大戦後に農場経営のための土地を求めて入植した人たちもいます。比較的新しく入植した人たちは別に黒人の土地を奪って開拓したわけではなく、通常の土地取引で農地を購入して入植しているんですけどね。スイスでは農家の次男、三男が南部アフリカに行って農地を開拓し、一旗揚げたらスイス本国で「お嫁さん募集」の広告を出すというのがよく見られた、という時期もあったそうです。あるいはナチス・ドイツの圧政を逃れて南部アフリカに新天地を求めたユダヤ人も少なくないし、貿易や欧州人のコミュニティのための様々なビジネスの機会もあって、最近になってアフリカまで商売を広げた人々も多い。

南部アフリカでは、今でもオランダ人、イギリス人、スイス人、ドイツ人などが経営する農場が数多くあります。(フランスは西アフリカ、北アフリカに植民地が多く、南部には少ない。)あるいは流通小売の業界にギリシャ系、ポルトガル系の人が多かったりする。もちろん、ヨーロッパ人ではないけど歴史的経緯からインド人も多いですけどね。そういえば、インド独立の父ガンジーは、、若い頃南アフリカで弁護士稼業をやっていて、人種差別に対する悩みを深めたといいます。

(ちなみに、日本が南アフリカのケープに最初に総領事館を開いたのは1910年、去年100周年でしたよ。まめ知識。)

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15世紀以来、連綿と続いたヨーロッパとアフリカの歴史的関係の最先端に、マンデラ元大統領がいて、ムガベ大統領がいる。「インド航路」だの「植民地開拓」だのって、歴史の教科書の上のお話として聞いてしまいがちですけど、今もアフリカの地には、その歴史の上に出来上がった社会があるんですよね。植民地時代がどっかでプツッと終わって現代のアフリカになったわけではなくて、前の出来事に新しい出来事を塗り重ねて、塗り重ねて今がある。

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それで、15世紀以降のアフリカとヨーロッパの歴史をダラダラ書いて、もうひとつ何が言いたかったかと言いますと、日本から見るアフリカと、ヨーロッパから見るアフリカは決定的に違う、ということなんです。当たり前ですけど。

ヨーロッパにとってのアフリカの出来事は、裏庭での出来事。まして、今でもヨーロッパ人がたくさんアフリカに住んでいて、その人たちがヨーロッパの本国の国籍、市民権を持っている場合も少なくない。ヨーロッパの人にとって、アフリカの出来事が他人事じゃないでんすよね。アフリカに対して当事者感覚を持っている。

日本から見ると、「人道上支援しなくては」「豊かな資源を開発しよう」「グローバル化社会の一員として尊重せねば」「世界の安定・経済成長に重要だ」・・・といったお題目でアフリカをとらえがちなんですけど、ヨーロッパにとっては、たとえもう植民地ではなくなったとしても、どこかまだ身内の出来事という感覚があるように見える。

不謹慎なたとえかもしれないですけど、言ってみれば、ヨーロッパ諸国にとってアフリカ諸国は、日本にとっては国家として独立してしまった北海道のような感じなのではないかと思いますよ。アイヌ・ウタリ共和国(1965年独立)みたいな感じで。それで、東京とアイヌ・ウタリ共和国の関係が順調であればそれはそれでいいんでしょうが、もしもアイヌ・ウタリ共和国が汚職まみれの独裁国家になっちゃったり、本州人が拓いた農地を国有化する政策を推し進めたり、中国から武器を密輸したりしていたら・・・。ヨーロッパのアフリカに対する危機感は、それに近いような気がしますよ。

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